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【本郷新買取】本郷新のブロンズ像買取は永寿堂へ

本郷新の作品を買取りしております。新制作協会彫刻部創立会員で昭和時代に活躍した彫刻家で絵画も手掛けた本郷新が制作したブロンズ像や絵画のご処分売却をお考えであれば高価買取させて頂きます。

【目次】
本郷新(ほんごう しん)について
 本郷新の主な略歴
 本郷新の代表作「嵐の中の母子像」
 本郷新の作品の買取相場
本郷新の買取りは骨董品買取専門店の永寿堂へ
 永寿堂へのお問い合わせ先

 

彫刻家の本郷新についての経歴や買取情報など

本郷新(ほんごう しん)について

1905年12月9日に北海道札幌区(現・札幌市)に6人兄弟の次男に生まれた本郷新は、東京高等工芸学校(現・千葉大学工学部)工芸図案科工芸彫刻部で彫刻を学びました。高村光太郎に師事し、古典研究の傍ら西洋近代彫刻の影響を強く受けることになります。1939年には、山内壮夫・柳原義達佐藤忠良・舟越保武ら若手彫刻家達と共に「新制作派協会(現・新制作協会)彫刻部」を創設し、精力的に創作活動に励みました。戦後は野外彫刻の制作に情熱を注ぎ、北は北海道から南は鹿児島県まで全国各地に設置されることになります。

平和への祈りが込められた作品が多く、写実的でありながらダイナミックな作風が特徴的です。代表作の1つである「わだつみ像」が何者かにより破壊されたり、風雪の群像が東アジア反日武装戦線の前身グループにより爆破されるなど困難に度々直面しました。しかしながら、メッセージ性の強い作品の数々は多くの人の心に感動を与え支持され続けたのです。東京都世田谷区のアトリエで創作活動を行っていた本郷新ですが、1977年には札幌市宮の森に新しいアトリエを建てました。1980年2月13日、人生の幕を閉じました。本郷新亡き後の1981年には、宮の森のアトリエを「札幌彫刻美術館」として開館。2007年には、「本郷新記念札幌彫刻美術館」と改称しました。息子は俳優の本郷淳で義娘は女優の柳川慶子、孫は俳優の本郷弦です。

本郷新のブロンズ像作品イメージ

 

本郷新の主な略歴
1931年 国画会国画奨学賞受賞
1944年 野間美術賞受賞
1945年 日本美術会創設に参加
1948年 日本共産党に入党
1953年 日本平和文化賞受賞
1978年 北海道文化賞受賞
1979年 勲三等瑞宝章受賞

 

本郷新の代表作「嵐の中の母子像」

本郷新は、とりわけ人物像を得意としていました。なかでも、代表作の1つと言われるのが「嵐の中の母子像」で、1953年に制作された作品です。海外の美術館を見学し、多くの西洋作品に触れた本郷新は、日本へ帰国後に仏教美術への造詣を深め異なる2つの美術を自分なりに消化しました。そうして誕生したのが、「嵐の中の母子像」だったのです。西洋美術における愛と慈しみの象徴ともいえるキリストとマリア像とも、仏教美術とも違う全く新しい母子像が完成しました。右手で乳飲み子を抱えながら、左手ではもう1人の子供を抱えようとしている母親の像は、戦後の厳しい状況下を物語っています。1953年に秋の新制作協会展に出品した後、1959年に第5回原水爆禁止世界大会広島大会に石膏像として寄贈されました。その後、広島市民の強い要望から募金活動が行われ、広島市平和記念公園へブロンズ像として設置される事になりました。

 

本郷新の作品の買取相場

本郷新のブロンズ像作品の中古買取り相場は作品の出来により買取り価格が大きく変わります女性のブロンズ像であれば2万円~15万円程度の買取り査定が期待できるでしょう。本郷新の作品をお持ちで売却処分をお考えであれば、もし証明書や共箱などの付属品をお持ちでしたら用意しておくようにしましょう。査定がスムーズになり査定額もアップします。

 

本郷新の買取りは骨董品買取専門店の永寿堂へ

本郷新の買取りは永寿堂へ

本郷新の作品を売りたいとお考えであれば、ぜひとも「骨董品買取専門店 永寿堂」におまかせ下さい。新制作協会彫刻部創立会員で昭和時代に活躍した彫刻家で絵画も手掛けた本郷新が制作したブロンズ像や絵画作品を高価買取させて頂きます。

当社はブロンズ像作品をはじめ、幅広いジャンルを取り扱っております。骨董品や陶芸品や骨董品や絵画や掛け軸や茶道具や美術品や書道具やアンティーク品など、さまざまなコレクション品を買取りさせて頂きます、電話またはメールでお問い合わせください。

 

永寿堂へのお問い合わせ先

・TEL:0120-060-510
・メール:info@eijyudou.com

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