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【柳原義達買取】柳原義達のブロンズ像買取は永寿堂へ

柳原義達の作品を買取りしております。近代日本の具象彫刻家で文化功労者である柳原義達が制作したブロンズ像のご処分売却をお考えであれば高価買取させて頂きます。

【目次】
柳原義達(やなぎはら よしたつ)について
 柳原義達の主な略歴
 柳原義達が手がけた作品について
 柳原義達の買取相場
柳原義達の買取りは骨董品買取専門店の永寿堂へ
 永寿堂へのお問い合わせ先

 

彫刻家の柳原義達についての経歴や買取情報など

柳原義達(やなぎはら よしたつ)について

柳原義達は、近現代日本を代表する彫刻家です。1910年兵庫県神戸市に生まれた柳原義達は、神戸第三中学校在学中に日本画家村上華岳の弟子であり、神戸第三中学校の教師であった藤村良一から絵を教わったのち、日本画家福田平八郎に師事します。その頃ロダンやブールデルといった近代彫刻を代表する作家の作品に感銘を受け、自身も彫刻家への道を歩み始めました。1931年東京美術学校彫刻科に入学すると第13回帝展、第8回国画会展で作品が入賞するなど、早くからその才能を評価されました。戦前より精力的に作品づくりに勤しんでいた柳原義達は、1951年東京で開催されたフランス現代美術展に大きな刺激を受け、1953年にフランスへ旅立ちます。

4年の滞在のあいだ柳原義達は現地の美術学校に通いデッサンや彫刻制作に励み、才能豊かな作家たちと交流しながら自身の芸術性を磨きあげていきました。帰国後も旺盛な制作活動を続け様々な美術展に作品を発表、フランス滞在時に制作された作品が第1回高村光太郎賞を、第3回現代日本美術展では《座る(女)》が優秀賞を受賞するなど、柳原義達の作品は高く評価されていきます。柳原作品には人物をモチーフにしたものが多くありますが、その一方で鴉や鳩を題材にした作品も好んで制作されており、これら一連の作品は〈道標シリーズ〉と呼ばれ愛されました。1970年には作家活動と並行して日本大学芸術学部美術学科の主任教授に就任し、1996年には文化功労者に選出。生涯にわたって日本の彫刻界に大きな影響を与え続けた柳原義達は2004年に94歳で逝去しました。

柳原義達のブロンズ像イメージ

 

柳原義達の主な略歴
1910年 兵庫県神戸市に誕生
1936年 東京美術学校彫刻科(東京藝術大学)を卒業
1953年 渡仏
1958年 帰国後第1回高村光太郎賞を受賞
1970年 日本大学芸術学部の教授に就任
1994年 第35回毎日芸術賞受賞
1996年 文化功労者に選出
2003年 三重県立美術館に柳原義達記念館が開設
2004年 逝去

 

柳原義達が手がけた作品について

柳原義達の代表作には裸婦像や、鴉や鳩をモチーフにした作品群〈道標〉があります。また現在観ることができる柳原義達作品の多くは戦後パリから帰国した後に発表されたものが大半を占めており、戦前の作品はほとんど残されていません。これは戦後まもない頃柳原義達の作品を保管してあった場所が火災にあい、ほぼすべてが消失してしまったためです。

 

柳原義達の買取相場

柳原義達のブロンズ像の買取相場はそれほど多く市場に出回っておりませんが10万円以上の買取り査定が付くでしょう。また作品次第では30万円以上の買取りも期待できます。また、リトグラフなどの版画作品でもしっかり買取り額は付くでしょう。レリーフの作品は数千円で取引される事が多いです。作品の出来や付加価値などで大きく買取り査定額が変わりますのであくまで記載の金額はご参考程度にご覧ください。

 

柳原義達の買取りは骨董品買取専門店の永寿堂へ

柳原義達の買取りは永寿堂へ

柳原義達の作品を売りたいとお考えであれば、ぜひとも「骨董品買取専門店 永寿堂」におまかせ下さい。近代日本の具象彫刻家で文化功労者である柳原義達が制作したブロンズ像作品を高価買取させて頂きます。

当社はブロンズ像作品をはじめ、幅広いジャンルを取り扱っております。骨董品や陶芸品や骨董品や絵画や掛け軸や茶道具や美術品や書道具やアンティーク品など、さまざまなコレクション品を買取りさせて頂きます、電話またはメールでお問い合わせください。

 

永寿堂へのお問い合わせ先

・TEL:0120-060-510
・メール:info@eijyudou.com

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