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横山操の買取は愛知名古屋の永寿堂へ

横山操の絵画やリトグラフを売りたいとお考えであれば高価買取させて頂きます、電話やメールなどでお気軽にご相談下さい。こちらの記事では横山操の略歴や買取相場や高く売るポイントなどもご紹介しておりますので売却や購入の際のお役立ちになれば幸いです。

【目次】
1.横山操について
 a.横山操の主な略歴
 b.横山操の作風
 c.横山操の代表作
2.横山操の買取相場
3.横山操作品を高く売るためのポイント
4.横山操の買取でよくある質問
5.横山操の絵画や掛軸の買取りは永寿堂におまかせ下さい

 

横山操について

横山操(よこやまみさお)は、昭和時代を代表する日本人画家で、加山又造を終生のライバルとして互いに影響を受けながら、風雲児として日本画壇を牽引した人物です。横山操の作品は、師である川端龍子の大きな影響を受けているともいわれ、煤や石炭を擦りつける独特の漆黒を基調としており、荒々しく力強い作風となっています。

横山操が得意とした大胆な構図は、当時の日本画壇や後に続く日本画家達にも大きな影響を与えました。一方、荒々しい力強い作品だけではなく、非常に細やかで叙情豊かな作品も残しており、現代でも多くのファンを魅了しています。

1934年に洋画家を目指して上京するも、当時の師から日本画家になることを勧められ、1938年に洋画家から日本画家へ転向しました。しかし、徴兵召集にともなって画業を中断、終戦を迎えた1945年からはシベリア抑留に遭うも無事帰国して画業を再開し、空白期間を埋めるように多くの作品を生み出していきます。

横山操の故郷である新潟県の「新潟県立美術館」には、1957年発表の「踏切」や1963年発表の「雪しまく」などが多く所蔵されています。また、2021年は横山操生誕100年を記念して「新潟市新津美術館」にて「生誕100年記念日本画家横山操展」が開催されました。現在も多くのファンを魅了している横山操の作品は、高値で取引されています。

横山操の絵画

 

横山操の主な略歴

1939年(昭和14年)

上京して川端画学校へ入学

1940年(昭和15年)

日本画家・川端龍子が代表を務める青龍社主催の青龍展にて「渡舟場」が初入選

1950年(昭和25年)

復員後、青龍展に戻り作品制作を再開

1956年(昭和31年)

「炎炎桜島」が青龍賞を受賞

1960年(昭和35年)

精力的に富士を題材にしはじめ、「赤富士」の連作が人気を集め出す

1962年(昭和37年)

青龍社を脱退し、無所属として活躍

1965年(昭和40年)

多摩美術大学日本画家の教授に就任

1971年(昭和46年)

病に倒れ右半身不随となるものの、左手のみで制作し続ける

1973年(昭和48年)

死去

 

横山操の作風

横山操の作風は、戦前と戦後で大きく変化しています。戦前は川端龍子が主催した青龍社で作品を制作していたため、師である川端龍子の影響を受け、迫力と激しさを併せ持つ石炭を使用した力強い漆黒と、にじみ出るような鮮やかな色合いが特徴です。

一方、戦後は終生のライバルと認めた加山又造をはじめとする轟会に参加したことで、細やかな叙情性と優美な装飾性を併せ持つ画風へと変化しました。作品の多くは故郷である越後の風景や富士をモチーフに描かれています。

徴兵召集後の5年間を中国で過ごし、戦後5年間はシベリア抑留生活を強いられ、10年もの間日本を離れていたからこそ故郷や日本への愛を深めたのかもしれません。晩年は、水墨画なども発表しています。

時代に翻弄された苦しい10年間を過ごし、日本の美や愛を作品に込めたからこそ、代表作である「赤富士」をはじめ、現代でも多くのファンを魅了している所以かもしれません。

 

横山操の代表作

横山操の絵画で代表作として挙げられるのが次の3つの作品です。

「カザフスタンの女」

1951年に発表された「カザフスタンの女」は、横山操がシベリアに抑留されて肉体労働を強いられた頃、目のあたりにした光景をモチーフにした作品です。横山操の代名詞である漆黒を基調として、悲しげにうつむいている親子を描いています。

当時の寂しさや過酷さ、非情さなどを物語る1枚に仕上がっており、実際に苦しい体験をしたからこそ描けた作品ともいえるでしょう。

「炎炎桜島」

1956年に発表された「炎炎桜島」は、青龍展にて青龍賞を受賞した作品で、横山操が一躍注目を浴びるきっかけとなりました。同年5月に写生旅行のために桜島へ訪れたところ、偶然桜島の大爆発に遭遇し、その場面を横幅4.5m以上の大きさで描いた作品といわれています。

もくもくとした噴煙を中心に画面のほとんどが黒で、火口の炎を表現した朱色などがアクセントとなっており、横山操の作風を象徴する作品ともいえるでしょう。

「塔」

1957年、東京都台東区に建っていた五重塔が、放火の末に炎上するという事件が発生しました。同年発表された「塔」は、焼失した塔をモチーフに描かれた作品で、丈が3mを超える超大作となっています。

横山操が得意とする漆黒を活用し、消失して間もない痛々しい姿の塔を荒々しく塗りつぶすかのように描いた作品です。

 

横山操の買取相場

横山操の作品の買取相場は、種類によって大きく異なります。買取相場の例は次のとおりです。

  • 赤富士:100万円以上
  • 暁富士:約11万円
  • 仏にひかれて:約5万円

横山操の作品は富士をモチーフにしたものが人気で、特に若年期よりも晩年に描かれたものが全盛期の作品として人気です。また、晩年は故郷の越後をモチーフに描いた作品も多く、こちらも高値で取引されています。

ただし、実際の買取価格は業者によって違うため、専門の買取業者に査定を依頼するとよいでしょう。

 

横山操作品を高く売るためのポイント

横山操作品をより高く売るためのポイントとして、次の3つが挙げられます。

  • 「赤富士」や奥行きのある作品を売る
  • 共箱も保管しておく
  • 鑑定書を準備しておく

横山操作品といえば「赤富士」といわれるほど、「赤富士」が人気です。描き込みなどによって違いがあるものの、ある程度の大きなサイズであれば100万円以上で評価されるともいわれています。赤富士以外にも奥行きを感じさせる直筆の作品は評価が高いため、高値で取引されやすいです。

また掛軸の場合は、購入時に入っていた共箱、額装であれば共シールもしっかりと保管しておきましょう。共箱や共シールには横山操の直筆サインと落款が押され、共シールであれば題名が記載されています。

これらは保証書も兼ねており、買取価格に大きく影響するため、しっかりと保管しておかなければなりません。また、鑑定書もあれば本物であることを証明でき、高値での買取を期待できます。

ただし、横谷操作品を理解している専門家でなければ、正しい価値を割り出せません。正しい評価を得るには、専門の買い取り業者に依頼する必要があります。

横山操の作品をはじめ、絵画に関する知見を持った査定員が在籍する骨董品の専門買い取り業者であれば、安心して依頼できるでしょう。

 

横山操の買取でよくある質問

Q.偽物か本物か分かりませんが査定買取りして頂けますか?
A.真贋が分からない品でも査定させて頂きます、当店が真贋を見分け買取りさせて頂きます。

Q.1点でも出張買取りして頂けますか?
A.1点のみとの事でしたら画像を送って頂くか詳しいお話をお聞かせ下さい、品物によっては1点でも出張買取り致します。

Q.横山操の作品以外にも絵画や掛け軸など骨董品があり運べません出張買取りして頂けますか?
A.喜んで出張買取にお伺い致します。

Q.作品が色ヤケやシミなどで状態が悪いのですが売却できるのでしょうか?
A.作品の状態が悪くても買取りはできますが高価買取は難しいかもしれません。

Q.遠方ですが出張買取りして頂けますか?
A.ご内容次第で遠方でも出張買取りできますのでご相談下さい。

Q.版画でも買取りして頂けますか?
A.版画も買取り可能です。

 

横山操の絵画やリトグラフの買取りは永寿堂におまかせ下さい

横山操の買取は永寿堂へ
横山操の売却をお考えであれば、「永寿堂」へご依頼ください。弊社では、専門知識と経験、データから適正価格にて買取りさせて頂きます。横山操以外の掛け軸や絵画はもちろんリトグラフやシルクスクリーンなどの版画や骨董品や茶道具や刀剣や美術品も査定買取致します。

永寿堂では店頭買取をはじめ出張買取や宅配買取も行っておりますので売却処分をお考えの品がございましたら、電話またはメールでお問い合わせください。

永寿堂のお問い合わせ

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