中原悌二郎の作品を買取りしております。ロダンを目指した近代彫刻の中原悌二郎が制作したブロンズ像があり、ご処分売却をお考えであれば高価買取させて頂きます。
【目次】
彫刻家の中原悌二郎(なかはら ていじろう)について
中原悌二郎の主な略歴
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彫刻家の中原悌二郎(なかはら ていじろう)について
中原悌二郎は1888年10月4日、北海道釧路にて荒物雑貨卸を営む父・忠四郎、母・たきの次男として生まれました。幼い頃の悌二郎は港町の気質に馴染めず、また厳しい父や兄とそりが合わなかったことから、若干9歳にして自ら母方の叔父である茂助の養子になります。養子先の旭川では、養父母の寵愛を受けながらのびのびと育ち、1902年に忠別尋常高等小学校高等科を卒業、そして北海道庁立札幌中学校へ入学しました。
中学入学時は医師を目指していた悌二郎ですが、美術教師である林竹治郎の影響を強く受け、次第に画家を志すようになります。3年生の時に落第した事がきっかけとなり、中学校を中退、養父母の反対を押し切って上京しました。1906年、白馬会洋画研究所に入った後は石膏写生に励むようになりましたが、ここでは生涯の友となる洋画家の中村彝と出会います。中村彝とはすぐに意気投合し、お互いに刺激し合いながら成長していきました。
画家になる事を志して勉強を続けていた悌二郎ですが、 ロダンの弟子であった荻原守衛に出会い、やがて彫刻家を目指すようになります。1907年に太平洋画会研究所彫塑部に移籍し、新海竹太郎から指導を受けました。そして彫刻に転じて間もない1910年、第4回文展で「老人の首」が初入選します。その後、ロダンの展覧会を見て感銘を受けた悌二郎は造形的把握を強め、徹底的に制作に打ち込むようになりました。また1916年には日本美術院の研究会員となり、佐藤朝山や石井鶴三らと研鑽を重ねていきました。
1916年第3回院展で樗牛賞を受賞した「石井氏の像」をはじめ、「行乞老人像」や「若きカフカス人」「憩える女」などを次々と作品を発表していきます。少しでも納得できない所があれば自分で破壊してしまうほどこだわりも強かったため、作品として残っているものは12点ですが、その作風は堅牢な構築性と豊かな空間の広がりがあり、大正期彫刻の代表的な存在となりました。遺作となったのは、1919年に発表した「平櫛田中像」です。 以後は体調が優れず、1921年1月7日、32歳という若さで短い生涯を閉じました。なお亡くなった後もその業績は評価され、1970年には中原悌二郎賞が創設されています。
中原悌二郎の主な略歴
1888年 | 北海道釧路市で生まれる |
1902年 | 北海道庁立札幌中学校に入学 |
1906年 | 白馬会研究所に入る |
1907年 | 太平洋画会研究所に入る |
1910年 | 第4回文展で「老人の首」が初入選 |
1916年 | 日本美術院研究所彫刻部に入る 第3回院展で「石井氏の像」が樗牛賞、院友となる |
1917年 | 美術院第3回試作展で「墓守老人」が美術院奨励賞 |
1921年 | 死去 |
中原悌二郎の買取りは骨董品買取専門店の永寿堂へ
中原悌二郎の作品を売りたいとお考えであれば、ぜひとも「骨董品買取専門店 永寿堂」におまかせ下さい。ロダンを目指した近代彫刻の中原悌二郎が造ったブロンズ像を高価買取させて頂きます。
当社はブロンズ像作品をはじめ、幅広いジャンルを取り扱っております。骨董品や陶芸品や骨董品や絵画や掛け軸や茶道具や美術品や書道具やアンティーク品など、さまざまなコレクション品を買取りさせて頂きます、電話またはメールでお問い合わせください。
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