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【佐藤朝山買取】佐藤朝山(佐藤玄々)の作品買取は永寿堂へ

佐藤朝山の作品を買取りしております、宮彫師の技術と、西洋彫刻の技法を融合させた近代彫刻家である佐藤朝山が制作した彫刻作品のご処分売却をお考えであれば高価買取させて頂きます。

【目次】
佐藤朝山(佐藤玄々)について
 佐藤朝山(佐藤玄々)の主な略歴
 佐藤朝山(佐藤玄々)の作風
 佐藤朝山(佐藤玄々)の買取相場
  佐藤朝山の買取りは永寿堂へ!

 

佐藤朝山(佐藤玄々)について

佐藤朝山(佐藤玄々)は1888(明治21)年8月18日に、福島県相馬郡中村町(現在の相馬市)で生まれた彫刻家です。本名は清蔵です。神社仏閣の扉や欄間などに装飾を施す宮彫師の家系で、父や叔父に木彫の基礎を教わりました。1906(明治39)年、職人ではなく芸術家を目指し、山崎朝雲(やまざき・ちょううん)に弟子入りします。1913(大正2)年、師匠から朝山(ちょうざん)の号を貰い独立。1914(大正3)年に開催された第1回再興日本美術院展覧会に「呪咀」や「シャクンタラ姫とドゥシャンタ王」などを出品し、日本美術院の同人に選ばれました。

1922(大正11)年、第9回再興日本美術院展覧会に「木花咲耶姫(このはなさくやひめ)」を出品しました。同年、日本美術院の創立25周年記念事業でフランスに留学します。留学中は、ヨーロッパを代表する彫刻家、アントワーヌ・ブールデルに師事しました。1935(昭和10)年に帝国美術院の会員、1937(昭和12)年には帝国芸術会員に選ばれます。1939(昭和14)年、大日本護国会が紀元2600年記念行事の1つとして計画した「和気清麻呂(わけのきよまろ)像」の制作をかけ、北村西望、朝倉文夫と競います。朝山の像が選ばれますが、師の朝雲は北村と朝倉を評価しました。

このことが原因となり、朝山の号を返上し、自ら破門を申し出ます。1948(昭和23)年、「老子」の一説を由来にする「玄々(げんげん)」を名乗ります。1960(昭和35)年には、日本橋三越本店の創立50周年記念に「天女(まごころ)」を展示しました。10年の歳月をかけて制作された「天女」は高さ約11メートル、総重量6.8トンの大作です。1963(昭和38)年9月14日に亡くなりました。

 

佐藤朝山(佐藤玄々)の主な略歴

1914(大正3)年 日本美術院同人に選出
1935(昭和10)年 帝国美術院会員に選出
1937(昭和12)年 帝国芸術院会員に選出

 

佐藤朝山(佐藤玄々)の作風

佐藤朝山(佐藤玄々)の作品は、高い写生力に官能性を取り入れていることが特徴です。父や叔父から受け継いだ宮彫師の技術と、アントワーヌ・ブールデルから学んだ西洋彫刻の技法を融合させ、唯一無二の作風を生み出しました。巨匠横山大観からも「天才」と評されています。

佐藤朝山(佐藤玄々)の彫刻イメージ

 

佐藤朝山(佐藤玄々)の買取相場

佐藤朝山(佐藤玄々)の買取り査定は、木彫りの彫刻作品で小さな作品では数万円~、大きな作品で希少な作品であれば100万円以上の買取査定が付く場合もございます。ブロンズ作品であれば数万円~数十万円の査定となる事が多いでしょう。

 

佐藤朝山の買取りは永寿堂へ!

佐藤朝山の売却であれば買取りします

佐藤朝山の作品を売りたいとお考えであれば、ぜひとも「永寿堂」におまかせ下さい。気宮彫師の技術と、西洋彫刻の技法を融合させた近代彫刻家である佐藤朝山が制作した彫刻像を高価買取させて頂きます。

当社は彫刻作品をはじめ、幅広いジャンルを取り扱っております。骨董品や陶芸品や骨董品や絵画や掛け軸や茶道具や美術品や書道具やアンティーク品など、さまざまなコレクション品を買取りさせて頂きます、電話またはメールでお問い合わせください。

●永寿堂へのお問い合わせ先

・TEL:0120-060-510
・メール:info@eijyudou.com

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