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【岡田三郎助買取】岡田三郎助の絵画買取は永寿堂へ

岡田三郎助の絵画を買取りしております。売却をお考えの岡田三郎助の絵画買取りは永寿堂におまかせ下さい。明治から昭和にかけ活躍し文化勲章を受賞した洋画家である岡田三郎助についての略歴や買取相場なども掲載しておりますので購入や売却の際のご参考にして下さい。

【目次】
岡田三郎助(おかだ さぶろうすけ)について
 岡田三郎助の主な略歴年表
 岡田三郎助の代表作品
 岡田三郎助の買取相場
岡田三郎助の売却であれば買取専門店である永寿堂へ!
 骨董品買取専門店 永寿堂へのお問い合わせ先

 

岡田三郎助(おかだ さぶろうすけ)について

岡田三郎助(おかださぶろうすけ)は、日本の洋画家・版画家です。1869年に、肥前佐賀藩の士族である石尾孝基の三男として生まれました。幼少時に上京し、東京の鍋島侯邸内で暮らしました。1887年に岡田政蔵の養子となります。洋画家である曽山幸彦の画塾に入り、洋画を学びました。曽山の死後は、曽山と同窓の堀江正章を師として、玉置金司、中沢弘光らとともに洋画の私塾「大幸館」を開いて、堀江に師事します。1894年に洋画家の久米桂一郎を通じて黒田清輝に出会います。1896年には、黒田を中心とした洋画家団体「白馬会」の発足に参加しました。

1897年、第1回文部省留学生に選ばれフランスに留学し、外光派のラファエル・コランに師事します。同時にルーブル美術館で模写を行い、外光派以前の西洋絵画についても学びました。帰国後は、東京美術学校(現在の東京芸術大学)教授に就任しました。1907年の東京府勧業博覧会では審査官となり、自らも「某夫人像」を出品して1等賞を受賞しています。その後も官設の展覧会運営に尽力するとともに、自身も精力的に出品しました。1912年には、洋画家の藤島武二とともに、美術家養成機関である「本郷洋画研究所」を設立しています。ここから、青地秀太郎や緒方亮平ら多数の洋画家が輩出されました。

1913年、同郷の久米桂一郎らと佐賀美術協会を設立し、翌年から公募展を開催します。当時の国内の総合美術展の先駆けであり、現在では美術学生の登竜門としても知られています。
帝国美術院が1919年に創設されると、会員に挙げられました。1930年には、文部省により欧州出張を指示され、各国の美術品や工芸品の研究に勤しみました。帰国後は、欧州から持ち帰った工芸品で「岡田三郎助氏蒐集美術工芸品展覧会」を開催しました。染色工芸品のコレクターとしても知られており、代表作の一つ「あやめの衣」をはじめ数々の作品が、コレクションの着物をモデルに着用させて制作されました。工芸品に関する著書として「工芸美術及室内装飾」があります。1937年には、第1回文化勲章を受賞。1939年、70歳で逝去しました。

岡田三郎助の絵画作品

 

岡田三郎助の主な略歴年表

1895年 第4回内国勧業博覧会で3等賞受賞
1902年 東京美術学校教授に就任
1903年 第5回内国勧業博覧会で2等賞受賞
1907年 東京勧業博覧会で1等賞受賞
1937年 第1回文化勲章受賞

 

岡田三郎助の代表作品

岡田三郎助の作品は優美な色彩が特徴で、外光派の風景画や雅やかな美人画などがあります。代表作として、「婦人像(某婦人の肖像)」「あやめの衣」「婦人半身像」が挙げられます。

 

岡田三郎助の買取相場

岡田三郎助の買取り相場は描いてある内容や油彩か水彩かなどで評価が大きく変わります。また東京美術倶楽部の鑑定書が付属しているなど真作である事が重要です。真作と判断できる油彩画作品であれば数十万円~数百万円の買取り査定が期待できるでしょう。

 

岡田三郎助の売却であれば買取専門店である永寿堂へ!

岡田三郎助の買取りは永寿堂へ

岡田三郎助の作品を売りたいとお考えであれば、ぜひとも「骨董品買取専門店 永寿堂」におまかせ下さい。明治から昭和にかけ活躍し文化勲章を受賞した洋画家である岡田三郎助の絵画を高価買取させて頂きます。
当社は幅広いジャンルを取り扱っており、岡田三郎助の作品の他にも陶芸品や骨董品や絵画や掛け軸や茶道具や美術品やアンティーク品などその他ジャンルを問わず、さまざまな品をコレクションしていた方の品を買取りさせて頂きますので電話またはメールでお問い合わせください。

骨董品買取専門店 永寿堂へのお問い合わせ先

・TEL:0120-060-510
・メール:info@eijyudou.com

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