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【新海竹太郎買取】新海竹太郎のブロンズ像買取は永寿堂へ

新海竹太郎の作品を買取りしております、馬の像を得意とし著名な軍人の騎馬像などを手掛けた彫刻家である新海竹太郎が制作したブロンズ像や木彫り作品のご処分売却をお考えであれば高価買取させて頂きます。

【目次】
新海竹太郎についてや買取り情報
 新海竹太郎について
 新海竹太郎の主な略歴
 新海竹太郎の買取相場
 新海竹太郎の買取りは永寿堂へ!

 

新海竹太郎についてや買取り情報

新海竹太郎について

新海竹太郎(しんかい たけたろう)は、日本における近代彫刻の礎を築いた一人と言われています。1868年、山形県山形市に、仏師の長男として誕生しました。もともとは軍人を志しており、近衛騎兵大隊に入営。そこで手遊びとして制作した馬の木彫りが、当時上官だった北白川宮能久に認められ、評判となりました。そして、このことがきっかけで、新海竹太郎は彫刻家として歩んでいくようになります。1981年に除隊すると、その後は彫刻家である後藤貞行の元で腕を磨くようになりました。浅井忠からデッサンを、小倉惣次郎からは塑像を学ぶなど、精力的に活動していきます。1899年に「北白川宮能久親王殿下騎馬銅像」が高く評価されると、その名は広く知られるようになりました。翌年にパリに渡り、その後ベルリンに移り住んだ彼は、エルンスト・ヘルテルに師事し、アカデミックな彫刻技法を学ぶようになったのです。

1902年に日本に戻ると、中村不折らが創設した太平洋画会の会員となりました。そして、1904年に太平洋画会研究所が創設されると、彫刻部の主任を担うようになります。朝倉文夫、堀進二、そして中原悌次郎など、後進の育成にも励むようになりました。馬の像を得意としていた新海竹太郎は、大山元帥や南部伯爵など有名な軍人の騎馬像を多く手がけています。彼の作品を説明する際に、アカデミックな作風だと言われることが少なくありません。しかし一方で、アール・ヌーボーの要素を取り入れたり、日本的、東洋的なものをテーマにした作品も数多く残しており、才能の幅広さを感じとることができるでしょう。代表作としては、「ゆあみ」や「大山元帥像」などが挙げられます。

新海竹太郎の彫刻作品イメージ

 

新海竹太郎の主な略歴

1868年 山形県山形市で生まれる
1981年 除隊し後藤貞行に師事
1900年 ヨーロッパへ留学
1907年 第1回文部省展覧会に代表作「ゆあみ」を出展
1917年 帝室技芸員となる
1919年 帝国美術院会員となる
1927年 心臓病のため死去

 

新海竹太郎の買取相場

新海竹太郎の買取相場は作品のモチーフや出来や大きさなどで一概には言えません、過去にインターネットオークションで20,000円程度~150,000円程度で取引されております。あくまで一般的な相場感ですので出来の良い作品や付加価値の付いている作品や木彫り作品であれば更に高額査定が期待できる作品もあるでしょう。

 

新海竹太郎の買取りは永寿堂へ!

新海竹太郎の売却であれば買取りします

新海竹太郎の作品を売りたいとお考えであれば、ぜひとも「永寿堂」におまかせ下さい。馬の像を得意とし著名な軍人の騎馬像などを手掛けた彫刻家である新海竹太郎が制作したブロンズ像や木彫り作品を高価買取させて頂きます。

当社はブロンズ像をはじめ、幅広いジャンルを取り扱っております。骨董品や陶芸品や骨董品や絵画や掛け軸や茶道具や美術品や書道具やアンティーク品など、さまざまなコレクション品を買取りさせて頂きます、電話またはメールでお問い合わせください。

●永寿堂へのお問い合わせ先

・TEL:0120-060-510
・メール:info@eijyudou.com

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