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【岩佐又兵衛買取】岩佐又兵衛の掛軸買取は永寿堂へ

岩佐又兵衛の掛軸を買取りしております。売却をお考えの岩佐又兵衛の掛軸の買取りは永寿堂におまかせ下さい。浮世絵の源流とされている作品を描いた絵師である岩佐又兵衛についての略歴や買取相場なども掲載しておりますので購入や売却の際のご参考にして下さい。

【目次】
1.岩佐又兵衛(いわさ またべえ)について
 岩佐又兵衛の主な略歴
 岩佐又兵衛の作風
 岩佐又兵衛の代表作
 岩佐又兵衛作品の買取相場
2.岩佐又兵衛作品を高く売るためのポイント
3.岩佐又兵衛の買取でよくある質問
4.岩佐又兵衛の売却であれば買取専門店である永寿堂へ!
 永寿堂へのお問い合わせ先

 

岩佐又兵衛(いわさ またべえ)について

岩佐又兵衛(いわさ またべえ)は、桃山時代から江戸時代初期にかけて活躍した絵師です。織田信長の家臣として働いた戦国武将の父をもつ岩佐又兵衛は、天正6年に摂津国(現在の兵庫)で生まれました。

戦国武将の息子でありながら、戦いとは無関係な「絵師」として活躍することとなった岩佐又兵衛。実は、絵師の道を選ぶきっかけとなったのはその父でした。織田信長の家臣であった父ですが、突然にもある時期に反逆を企てます(有岡城の戦い)。信長に反旗をひるがすこととなったきっかけがなにかは、現在までわかっていません。

反逆は失敗に終わり、一族の大半は斬殺されることとなります。その結果、又兵衛は乳母とともに逃亡を余儀なくされることになりました。石山本願寺に保護された又兵衛は、成人になると絵を描き始めます。

それは、なんとか自身で生計を立てようと考えた結果のようです。そして又兵衛は、絵や文学によって賃金を得て生活することとなりました。

絵師としての又兵衛は、信長の息子である信雄の元へ「近習小姓役」として仕えたとされています。近習小姓役とは、画業や文芸などの諸芸を武器として主君に使える者のことです。信雄に仕えた後の又兵衛は「勝以」を名乗り、京都で活動を始めました。

その後、松平忠直に招かれて北庄(現在の福井市)へ移り住み、以後20年あまりをこの地で暮らしたそうです。

 

岩佐又兵衛の主な略歴

1578年

兵庫県伊丹市に生まれる

1579年

父・村重が織田信長に反逆を企てるが失敗

石山本願寺に保護される

1587年

成人した又兵衛は「岩佐姓」を名乗り、近習小姓役として織田信雄に仕える

1614〜1615年

『洛中洛外図屏風』を制作

1614〜1616年

『豊国祭礼図屏風』を制作

1637年

江戸へ移り住む

1650年

死亡

 

岩佐又兵衛の作風

又兵衛が描く人物は、その後の絵師に大きな影響を与えました。又兵衛が描く人物表現の特徴としては、豊かな頬と長いあご、いわゆる「豊頬長頤」にあります。

それまで人物は「和」のテイストのみで描かれていましたが、又兵衛の描く人物は和漢が混合した独特の画風でした。人物をより生き生きと描く彼の画風は、瞬く間に一世を風靡し、その後の絵師に大きな影響を与えたのです。

又兵衛の作品の中に、操浄瑠璃(あやつりじょうるり)の上演に使われた正本を詞書とした「極彩色絵巻群」があります。これは又兵衛の作品の中でも長大であり、画業を語るうえで欠かせないものです。

又兵衛が取り扱う作品は古典的な題材が多い傾向にありますが、劇的なタッチやエネルギー溢れる表現が特徴的であり、またそれこそが魅力でもありました。このエネルギッシュな作風はその後、浮世絵の源流となります。この作風によって描かれた『三十六歌仙』は、彼の代表作の一つとなりました。そしてこの作品こそが、彼を風俗画初期の先駆者としたものでもあるのです。

 

岩佐又兵衛の代表作

岩佐又兵衛の代表作といえば、先ほどもご紹介した『三十六歌仙』です。同作品は、明治19年(1886年)に発見され、現在では重要文化財に指定されています。

同作品は、柿本人麻呂や小野小町、大伴家持らを始めとした、36人の和歌読みたちが和歌とともに描かれているものです。和歌読みたちを描いた作品は鎌倉時代より数多くあり、その中でも岩佐又兵衛によって描かれた『三十六歌仙』は傑作といえるでしょう。

本作品は発見された後も、作者である岩佐又兵衛と同じく、波瀾万丈な運命を巡ることとなります。数々の展覧会などで披露され、多くの芸術ファンを魅了してきました。その中で作品の所有者が次々に変わり、流転します。そしてそのまま100年持ち主を変え、現在保管されている「京都国立博物館」へと落ち着きました。

 

岩佐又兵衛作品の買取相場

では、岩佐又兵衛の作品の買取相場はどれほどなのでしょうか。結論からいえば、かなりの高額で取引される可能性があります。又兵衛の作品は、現在確認されているものが非常に少なく、その分希少性も高いとされているのです。

そして現存する作品の数が少ない分、取引された例もあまりありません。過去にはオークションにて、模写作品であっても『元禄風俗画』が7万円、『三十六歌仙』は5万円で取引されています。

模写作品ではなく「真作」であれば、さらに高額な値段で取引されるでしょう。作品によっては、数十万〜数百万円の金額となる可能性も十分に考えられるため、査定を依頼する際は、正しく鑑定できる業者を選んでください。

もちろん、岩佐又兵衛の作品が高額で取引されるのは、希少性が高いことだけが理由ではありません。岩佐又兵衛は江戸時代を代表する絵師であり、その作品は水墨画や狩野派、土佐派といったさまざまな流派を吸収したものでした。また多くの流派を吸収するだけではなく、独自性も兼ね備えており、その作品はまったく新しい「流派」といっても良いでしょう。

浮世絵の「源流」とされている岩佐又兵衛の作品が市場の取引価格を上げているのもこのためです。

岩佐又兵衛の掛軸

 

岩佐又兵衛作品を高く売るためのポイント

もともと高額で取引される傾向にある岩佐又兵衛の作品は、状態が良いとより高額で取引されます。岩佐又兵衛の作品は、保存状態の良い作品が非常に少ない傾向にあるのです。そのため、真作(岩佐又兵衛、本人の作品)であると判断できるサインなどが判別できない状態にあるものも多くあります。

岩佐又兵衛の作品が高額で取引されるポイントは、真作であるか否かです。もちろん真作であると判断するためには、作品の状態が重要なポイントといえます。岩佐又兵衛の作品を高額で売却するためには、以下のような点をおさえておきましょう。

  • 保存状態は良好か
  • 鑑定士による証明書の有無

真作でなおかつ保存状態がよく、鑑定士からしっかりと証明書が発行されている作品は、高額で取引されます。また岩佐又兵衛の作品の中でも「掛け軸」は、高額で取引される傾向にあるでしょう。掛け軸を売却するには、付属品の有無も重要なポイントです。共箱や筒箱などがあれば、必ず作品とセットで売却するようにしてください。

もちろん、有名芸術家の作品を売却する際は、複数の業者で見積もり依頼をするのがおすすめです。同じ作品であっても業者によって査定額が異なるため、より高額で取引できるところを探しましょう。

 

岩佐又兵衛の買取でよくある質問

Q.1点でも出張買取りして頂けますか?
A.1点のみとの事でしたら画像を送って頂くか詳しいお話をお聞かせ下さい、品物によっては1点でも出張買取り致します。

Q.岩佐又兵衛の作品以外にも茶器や絵画や掛け軸など骨董品があり運べません出張買取りして頂けますか?
A.喜んで出張買取にお伺い致します。

Q.作品が色ヤケやシミなどで状態が悪いのですが売却できるのでしょうか?
A.作品の状態が悪くても買取りはできますが高価買取は難しいかもしれません。

Q.遠方ですが出張買取りして頂けますか?
A.ご内容次第で遠方でも出張買取りできますのでご相談下さい。

Q.外箱がなくても買取りできますか?
A.外箱が付属していなくても買取り可能です。

 

岩佐又兵衛の売却であれば買取専門店である永寿堂へ!

岩佐又兵衛の売却であれば高価買取します

岩佐又兵衛の作品を売りたいとお考えであれば、ぜひとも「永寿堂」におまかせ下さい。浮世絵の源流とされている作品を描いた絵師である岩佐又兵衛の掛軸を高価買取させて頂きます。

当社は幅広いジャンルを取り扱っており、岩佐又兵衛の作品の他にも陶芸品や骨董品や絵画や掛け軸や茶道具や美術品やアンティーク品などその他ジャンルを問わず、さまざまな品をコレクションしていた方の品を買取りさせて頂きますので電話またはメールでお問い合わせください。

永寿堂へのお問い合わせ先

・TEL:0120-060-510
・メール:info@eijyudou.com

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