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橋本雅邦の買取は愛知名古屋の永寿堂へ

橋本雅邦の掛軸を売りたいとお考えであれば高価買取させて頂きます、電話やメールなどでお気軽にご相談下さい。こちらの記事では第一次の帝室技芸員に選ばれるなどした画壇の大家である橋本雅邦の略歴や買取相場や高く売るポイントなどもご紹介しておりますので売却や購入の際のお役立ちになれば幸いです。

【目次】
1.橋本雅邦について
 a.橋本雅邦の主な略歴
 b.橋本雅邦の作風
 c.橋本雅邦の代表作
 d.橋本雅邦作品の買取相場
2.橋本雅邦作品を高く売るためのポイント
3.橋本雅邦の買取でよくある質問
4.橋本雅邦の買取りは永寿堂におまかせ下さい

 

橋本雅邦について

橋本雅邦(はしもと がほう)は、幕末から明治時代にかけて活躍した絵師です。狩野派に属する日本画家であり、1835年に江戸木挽町(現在の東京都中央区)の狩野家に生まれました。

橋本雅邦の父は、狩野養信門下の絵師であった橋本養邦です。そのため雅邦は、幼少期から父より絵を学んでいました。雅邦は、12歳の時点ですでに養信に入門しています。ちなみに同日には、この先雅邦にとって「生涯の友」となる狩野芳崖も入門していました。

雅邦は26歳で独立し、その後結婚します。その頃の狩野派は、需要が減少しつつありました。幕末維新の動乱の影響もあり、絵師としての活動が低迷したことから苦しい生活が続いたようです。

しかし、1871年(明治4年)に海軍兵学校の製図掛に勤務し始めたことから、雅邦の生活は安定し始めます。1877年には狩野芳崖が上京し、ともに技術を高め合うようになったのです。

1882年になると雅邦の作品は、内国絵画共進会に出品されて高い評価を得ます。そのことを皮切りに、彼の作品は国内外を問わずにさまざまな展覧会に出品され、数々の賞を受賞しました。

1886年の時点で雅邦は、海軍兵学校から去ります。その後、芳崖とともに新たな日本の絵画表現の確立を目指しました。しかし1888年、盟友であった芳崖が亡くなり、悲しみを抱えつつ雅邦は、絶筆の『悲母観音』を仕上げます。その後の雅邦は、1898年に日本美術院の創立に参加し、1900年にはパリ万国博覧会に『龍虎図』を出品して銀賞を受賞しました。絵師として活躍し続けた雅邦は、病気を患って1908年にその生涯を終えたのです。

橋本雅邦の掛軸イメージ

 

橋本雅邦の主な略歴

1835年

江戸木挽町(現在の東京都中央区)に生まれる

1847年

養信に入門。狩野芳崖と出会う

1861年

独立して結婚する

絵師としての活動が低迷し始める

1871年

海軍兵学校に勤務し始める

1877年

狩野芳崖の上京を機に、技術向上に努める

1882年

作品が内国絵画共進会に出品され始める

1886年

海軍兵学校を辞める

芳崖とともに絵画表現を極め始める

1888年

『悲母観音』を完成させる

1900年

パリ万国博覧会に『龍虎図』を出品し、高い評価を得る

1908年

病死

 

橋本雅邦の作風

橋本雅邦の作品は、輪郭線を効果的に描き分けていることが特徴です。しなる竹や雷雲、龍の手足が太い線で力強く描かれています。対照的に動物の毛並みや雲などには繊細な輪郭線が用いられ、作品全体にメリハリを与えており、見る人によって違ったストーリーが思い浮かぶでしょう。

また雅邦の作品には、この時代までの日本画には見られない「写実性」が感じられます。彼の代表作でもある『龍虎図』においては、虎や龍が互いに威嚇し合いながら、どこか相手を嗜めるような挑戦的な眼差しが表現されているのです。

彼の作品は精巧でありつつも、細部からはどこかユーモラスな印象を感じさせます。現代でいうところの「デフォルメ」されたイラストのような雰囲気すら感じられるのです。リアリティのある写実性とユーモラスな面、相反する要素が互いを高め合っています。

 

橋本雅邦の代表作

橋本雅邦には数多くの代表作があります。中でも特に高い評価を得たのは、以下の2つです。

  • 悲母観音
  • 龍虎図

前述したように、『悲母観音』は生涯の盟友である狩野芳崖の死後に書かれました。同作品では、雲の上に堂々と立つ悲母観音が描かれています。作品下部には観音様の元へ登っていく子供が描かれており、作品全体から母の慈しみを感じられるでしょう。実は観音様は全員が男性であるため、描かれているのは「母」ではないといった豆知識もあります。

『龍虎図』は、ダイナミックに吹き荒れる風や雨、雷とともに雲の隙間から現れる龍が迫力満点な作品です。また、地面には2頭の虎が天を見上げて威嚇しています。虎の唸り声が、今にも絵の中から聞こえて来るようです。

画面と色彩など、全体的に伝統的な龍虎図とは一線を画す仕上がりとなっています。同作品で描かれている虎は、ほかの作品とは全く違った様相です。片方の虎は下半身が低く描かれており、低い姿勢で威嚇しているように見えます。しかし、その斬新な表現から当時は「腰抜けの虎」などと揶揄され、一部では酷評されることもありました。

とはいえ、この表現を高く評価している者も多く、1955年には近代絵画で初めての「重要文化財」に指定されています。

 

橋本雅邦作品の買取相場

現代の買取市場において、橋本雅邦の作品は高額で取引されています。特に掛け軸などは高い価値があるとされ、高額で買い取られた例も多くあるのです。橋本雅邦の作品の買取実績には、『高子観瀑乃図大幅』『渓村首夏図』『観音図』の3作品があります。

『高子観瀑乃図大幅』は、一般の方が利用するオークションでも取引されており、過去の事例では55,000~65,000円前後で落札されました。二重箱と象牙軸付きの『高子観瀑乃図大幅』であれば、61件の入札があって56,000円で落札されたこともあります。しかし、これらの作品の多くには汚れやシミ、シワといった減額要素がありました。美品であれば、これらの事例よりも高額で取引される可能性があるでしょう。

『渓村首夏図』の掛け軸は、国内で開催されたライブオークションでも高額で落札されています。初めは300,000〜500,000円の予想額で設定されていましたが、実際にオークションが開催されると、この額を遥かに上回る580,000円で落札されました。

『観音図』は、某有名テレビ番組に出品されたこともある作品です。同番組ではそれまでにも3作品が登場しており、その中で同作品は最高額でした。『観音図』の掛け軸は、番組内で最終的に5百万円もの評価額が付けられました。

 

橋本雅邦作品を高く売るためのポイント

もともと橋本雅邦の作品は、高額で取引される美術品です。作品のコンディションが良いほど、より高額な値段で取引されます。ただし、橋本雅邦の作品には贋作も多いため注意が必要です。

確実に高額で売却したい場合は、模写やコピー品といった偽物ではないかどうかをしっかりと鑑定してもらう必要があるでしょう。贋作でないことを前提に、橋本雅邦の作品を高額で売るためのポイントは以下のとおりです。

  • できる限り良い状態をキープする
  • 橋本雅邦の作品を積極的に買い取っている業者を選ぶ

まずはコンディションです。湿気による劣化や汚れなどがついているものは修繕し、美品とされる状態をキープしておきましょう。売却先の業者については、橋本雅邦の作品を積極的に取引をしている業者を選んでください。

 

橋本雅邦の買取でよくある質問

Q.偽物か本物か分かりませんが査定買取りして頂けますか?
A.真贋が分からない品でも査定買取りさせて頂きます、名品の場合は東美鑑定評価機構の鑑定証の取得をおすすめ致します。

Q.1点でも出張買取りして頂けますか?
A.1点のみとの事でしたら画像を送って頂くか詳しいお話をお聞かせ下さい、品物によっては1点でも出張買取り致します。

Q.橋本雅邦の作品以外にも絵画や掛け軸など骨董品があり運べません出張買取りして頂けますか?
A.喜んで出張買取にお伺い致します。

Q.作品が色ヤケやシミなどで状態が悪いのですが売却できるのでしょうか?
A.作品の状態が悪くても買取りはできますが高価買取は難しいかもしれません。

Q.遠方ですが出張買取りして頂けますか?
A.ご内容次第で遠方でも出張買取りできますのでご相談下さい。

Q.外箱などがありませんが買取り対象でしょうか?
A.外箱に入っていない掛軸も買取り可能です。

Q.屏風などの大型品は買取り対象でしょうか?
A.屏風などの大型品でも買取り可能です。

 

橋本雅邦の買取りは永寿堂におまかせ下さい

橋本雅邦の売却であれば高価買取します
橋本雅邦の売却をお考えであれば、「永寿堂」へご依頼ください。弊社では、専門知識と経験、データから適正価格にて買取りさせて頂きます。橋本雅邦以外の掛け軸や絵画はもちろんリトグラフやシルクスクリーンなどの版画や骨董品や茶道具や刀剣や美術品も査定買取致します。

永寿堂では店頭買取をはじめ出張買取や宅配買取も行っておりますので売却処分をお考えの品がございましたら、電話またはメールでお問い合わせください。

 

永寿堂のお問い合わせ

TEL.0120-060-510

e-mail. info@eijyudou.com

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