酒井抱一の掛け軸を買取りしております。売却をお考えの酒井抱一の掛け軸買取りは永寿堂におまかせ下さい。琳派を代表する江戸時代後期に活躍した絵師である酒井抱一についての略歴や代表作なども掲載しておりますので作品の購入や売却の際のご参考にして下さい。
【目次】
酒井抱一(さかい ほういつ)について
出生から兄の死まで
出家から江戸琳派の立上げまで
「江戸琳派」の様式の確立から酒井抱一の死去まで
酒井抱一の主な略歴
酒井抱一の美術表現と代表的な作品について
酒井抱一の作品の買取相場
酒井抱一の買取は永寿堂におまかせ下さい!
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酒井抱一(さかい ほういつ)について
酒井抱一(さかいほういつ、1761年8月1日 - 1829年1月4日)は、江戸時代後期に活躍した絵師です。尾形光琳の影響を受けつつ、琳派のみやびな画風を詩情豊かなスタイルに転換することによって「江戸琳派」を築きあげました。屠龍の号で、俳諧や狂歌の作品作り、および浮世絵美人画の制作で活躍したことでも知られています。
出生から兄の死まで
神田小川町の姫路藩別邸において次男として酒井抱一は誕生しました。父は姫路藩世嗣である「酒井忠仰」です。
多趣味であった兄である「酒井忠以」の庇護の元、酒井抱一は芸文の世界の素養を身に付けていきました。絵については中橋狩野家の「狩野高信」や「狩野惟信」など、狩野派から手ほどきを受けたと考えられています。1783年(天明3年)ごろには、浮世絵師であった「歌川豊春」に師事し、豊春の作品と見紛うほどの美人画の手法を身に付けました。ほかにもこの時期には多くの文化人との交流がありました。30代はじめ頃までの酒井抱一は、自由奔放な生活を過ごしていたといえます。しかし、1790年(寛政2年)に兄が亡くなったことによって、その生活は変化していきました。
出家から江戸琳派の立上げまで
1797年(寛政9年)、酒井抱一は西本願寺において出家しました。僧になったことで酒井抱一は武家の身分から解き放たれます。市中において隠とん生活を過ごしながら、芸術や文芸を自由に模索する日々を送るようになりました。出家した翌年、老子の「是を以て聖人、一を抱えて天下の式と為る」との一説を参照し、終生使う事となる「抱一」の号を名乗るようになりました。1801年(寛政13年)頃から酒井抱一は「尾形光琳(1658年 - 1716年)」の作風を学習するようになり、自身の美術様式を確立していきます。
なお、尾形光琳はかつて酒井家に仕えており、酒井抱一はその作品に触れる機会がありました。尾形光琳が没してから100年にあたる1815年(文化12年)、自宅において光琳百回忌として、遺作展を開催しました。この頃から「江戸琳派」が誕生したとされています。
「江戸琳派」の様式の確立から酒井抱一の死去まで
光琳百回忌が高く評価された酒井抱一の元には、多くの作品制作の依頼が舞い込むようになります。1817年(文化14年)頃、根岸の隠居所である雨華菴に工房が整えられるようになり、あまたの作品を通して、江戸琳派の様式が確立していきました。この頃、一橋治済(徳川治済)の依頼を受け、尾形光琳が制作した「風神雷神図屏風」の裏面に屏風図を描くこととなりました。これが酒井抱一の代表作の1つである「夏秋草図屏風」です。
晩年の酒井抱一は画業の集大成となる「十二か月花鳥図」に着手。1823年(文政6年)にこれを完成させます。その後、1828年(文政11年)に酒井抱一は雨華菴において死去。享年68歳でした。
酒井抱一の主な略歴
1761年(宝暦11年) | 神田小川町において生誕 |
1783年(天明3年)頃 | 浮世絵師「歌川豊春」に師事 |
1785年(天明5年) | 「松風村雨図」を制作 |
1797年(寛政9年) | 西本願寺にて出家。等覚院文詮暉真と称する |
1798年(寛政10年) | 「抱一」と名乗る |
1812年(文化9年) | 「屠龍之技」を刊行 |
1813年(文化10年) | 「緒方流略印譜」を刊行 |
1815年(文化12年) | 光琳百回忌(遺作展)の開催。「光琳百図前編」を刊行 |
1817年(文化14年)頃 | 重要文化財「秋草鶉図」を制作 |
1820年(文政3年) | 重要文化財「雪月花図」を制作 |
1821年から1822年(文政4年から5年) | 重要文化財「風雨草花図」を制作 |
1823年(文政6年) | 晩年の代表作「十二か月花鳥図」を制作。「乾山遺墨」を刊行 |
1828年(文政11年) | 雨華菴にて68歳で死去 |
酒井抱一の美術表現と代表的な作品について
酒井抱一が生み出した江戸琳派は、京文化が感じられる琳派のみやびで装飾的な技法に、江戸の叙情性や独自の美意識を融合したものです。そこには光琳だけでなく、狩野派・南蘋派・円山四条派・土佐派など、他派の影響が垣間見えます。伊藤若冲の技法を積極的に取り込んだ形跡もうかがえます。
酒井抱一自身の美術表現としては、情緒的かつ洒脱な作風です。その独創性は現在においても高く評価されています。酒井抱一の独創性や洒脱さは「風神雷神図屏風」によく現れています。酒井抱一は尾形光琳が模写した「風神雷神図屏風(オリジナルは俵屋宗達作)」をさらに模写しました。構図感覚を重視し、オリジナルをより完成形に高めるように模写した尾形光琳に対し、酒井抱一の描いた「風神雷神図屏風」は、また違った作品に仕上がっています。卑俗で人間くさい笑みを浮かべる神々は、どこかユーモラスで親しみやすい雰囲気をもっています。まるで、酒井抱一の筆によって、神に人格が描き加えられたような雰囲気です。酒井抱一の美術表現を知るには、その作品に目を通すのが一番です。以下に、酒井抱一の代表的な作品を列挙します。
・文持つ美人図
・秋草鶉図 (重要美術品)
・風神雷神図屏風
・白繻子地梅樹春草模様描絵小袖 (重要文化財)
・雪月花図 (重要美術品)
・風雨草花図(通称:夏秋草図屏風) (重要文化財)
・月に秋草図屏風 (重要文化財)
・秋草花卉図 (群馬県指定重要文化財)
・十二か月花鳥図
酒井抱一の作品の買取相場
酒井抱一の作品は、国宝指定こそされていないものの、いくつもの重要文化財指定を受けています。文化的価値・美術的価値だけでなく、市場での人気や希少性までもが高いため、酒井抱一の作品の買取相場はおしなべて高額となっています。例えば、テレビの鑑定番組において、50代半ばのころの酒井抱一の作品とされる仏画が出品されたとき、3,500万円の査定額が付きました。ただし、酒井抱一の作品は偽物や模写が多いことでも知られています。来歴がはっきりとしているはずの品であっても、偽物や模写であるケースが珍しくありません。
もし手元に酒井抱一の作品があるなら、早めに査定依頼をだして、その真贋だけでもはっきりとさせておいた方がよいでしょう。
酒井抱一の買取は永寿堂におまかせ下さい!
酒井抱一の作品を売りたいとお考えであれば、ぜひとも「骨董品買取専門店 永寿堂」におまかせ下さい。琳派を代表する江戸時代後期に活躍した絵師である酒井抱一の掛け軸を高価買取させて頂きます。
当社は幅広いジャンルを取り扱っており、酒井抱一の作品の他にも陶芸品や骨董品や絵画や掛け軸や茶道具や美術品やアンティーク品などその他ジャンルを問わず、さまざまな品をコレクションしていた方の品を買取りさせて頂きますので電話またはメールでお問い合わせください。
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