大正期を代表する洋画家の中村彝が描いた絵画を買取りします | 骨董品買取は愛知名古屋の永寿堂へ

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【中村彝買取】中村彝の絵画買取は永寿堂へ

中村彝の絵画を買取りしております。売却をお考えの中村彝の絵画買取りは永寿堂におまかせ下さい。37歳で死去した洋画家で大正期に活躍し油絵の肖像画が高く評価された中村彝についての略歴などを記載しておりますので購入や売却の際のご参考にして下さい。

【目次】
中村彝(なかむら つね)について
 中村彝の主な略歴
中村彝の売却であれば買取専門店である永寿堂へ!
 骨董品買取専門店 永寿堂へのお問い合わせ先

 

中村彝(なかむら つね)について

中村彝(なかむらつね)は、大正期の洋画家です。
1887年7月、旧水戸藩士中村順正の三男として、茨城県千波村(現在の水戸市)に生まれました。誕生の翌年に父親が亡くなり、母親も彝が11歳のときに亡くなっています。その後、陸軍軍人であった長兄の直を頼って上京しました。愛日尋常高等小学校を卒業、早稲田中学校に入学したものの、軍人を目指して名古屋陸軍地方幼年学校に入学します。しかし結核を患い、軍人の道を断念することとなりました。
18歳のときに、結核療養のために訪れた千葉県北条湊(現在の館山市)で、風景の水彩スケッチを行うようになります。愛日尋常高等小学校時代に知り合った野田半三の影響で、元々絵画に興味を持っていた彝は、白馬会研究所や太平洋画会研究所で洋画の勉強に励みました。中原悌二郎、鶴田吾郎と知り合い、切磋琢磨しその後も互いに影響を与え合っていきます。
1909年の第3回文展で初入選をはたし、翌年の文展では「海辺の村」が、翌々年には「女」が三等賞を受賞しました。
1911年、新宿中村屋の主人である相馬愛蔵夫妻の厚意により、新宿中村屋の裏にあるアトリエに住むようになります。相馬夫妻は、制作に心血の注ぐあまり食事がおろそかになっている彝を食卓に招くようになります。そのような中で、彝は相馬家の長女である俊子と親密な関係となっていきました。俊子をモデルとして描かれた「少女」は、第8回文展で三等賞を受賞します。
しかし彝の病気などを理由に俊子との結婚を相馬夫妻に反対され、彝は中村屋を離れることとなりました。
1916年、新宿の下落合にアトリエを構えました。鶴田の紹介でロシア人の盲目の詩人ワシリー・エロシェンコと出会います。鶴田とともにエロシェンコをモデルとして制作に取り組みました。二人の作品は帝展に出品され、彝の「エロシェンコ像」は彼の代表作と言われるとももに、明治以降における油絵の肖像画の最高傑作とも称されました。
1921年に病状が悪化し、1924年に37歳の若さでその生涯を終えました。

絵画作品のイメージ

 

中村彝の主な略歴

1910年 第4回文展で三等賞受賞
1911年 第5回文展で三等賞受賞
1914年 第8回文展で三等賞受賞
1915年 第9回文展で二等賞受賞
1916年 第10回文展で特選受賞

 

中村彝の売却であれば買取専門店である永寿堂へ!

中村彝の絵画買取りは永寿堂へ

中村彝の絵画を売りたいとお考えであれば、ぜひとも「骨董品買取専門店 永寿堂」におまかせ下さい。37歳で死去した洋画家で大正期に活躍し油絵の肖像画が高く評価された中村彝が描いた絵画を高価買取させて頂きます。
当社は幅広いジャンルを取り扱っており、中村彝の作品の他にも陶芸品や骨董品や絵画や掛け軸や茶道具や美術品やアンティーク品などその他ジャンルを問わず、さまざまな品をコレクションしていた方の品を買取りさせて頂きますので電話またはメールでお問い合わせください。

 

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