天台宗の僧侶として活躍した酒井雄哉の一行書や禅語などの掛け軸を買取りします|愛知名古屋の骨董品買取は永寿堂へ

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【酒井雄哉買取】酒井雄哉の書や掛け軸買取は永寿堂へ

酒井雄哉の掛け軸を買取りしております。売却をお考えの酒井雄哉の掛け軸や書や全集の買取りは永寿堂におまかせ下さい。天台宗の僧侶で仏教伝道文化賞を受賞するなど仏教の普及に努め、晩年は比叡山麓の飯室谷不動堂長寿院住職を務めた酒井雄哉についての略歴や買取相場なども掲載しておりますので作品の購入や売却の際のご参考にして下さい。

【目次】
酒井雄哉(さかい ゆうさい)について
 酒井雄哉の主な略歴
 酒井雄哉の代表的な作品
 酒井雄哉の買取相場
酒井雄哉の買取は骨董品買取専門店の永寿堂へ
 永寿堂へのお問い合わせ先

 

酒井雄哉(さかい ゆうさい)について

酒井雄哉は、1926年に大阪府で生まれました。5歳の時に家族で東京に引っ越し、1941年に慶応義塾商業学校に入学します。担任に軍隊入隊を勧められて、1944年に熊本県の予科練に入隊。半年間訓練を受けた後、最終的に鹿児島県の鹿屋飛行場に特攻隊員として配属されます。鹿屋飛行場で米軍機による攻撃を受けるものの、奇跡的に生き残り終戦となります。戦後は法政大学の図書館職員や父親のラーメン屋の手伝いなど、さまざまな職を転々とします。33歳の時に従妹の女性と結婚するものの、妻となった女性は結婚後すぐに実家に帰り、しばらくして自殺。妻の実家をしばらく手伝っているうちに、叔母が気分転換させようと酒井雄哉を比叡山に連れていきます。それから度々比叡山に通うようになり、ある日天台宗の中でも最も厳しい行とされる千日回峰中の行者と出会います。

その姿に感銘を受けた酒井雄哉は、1965年に出家を決意。若者と一緒に天台宗学の理論や実践を学び、叡山学院を首席で卒業しただけでなく、天台座主賞も受賞しました。1973年に千日回峰をスタートし、1980年10月に達成しました。その半年後には、2度目の千日回峰を開始し、1987年に60歳という最高齢で2度目の千日回峰を達成。大阿闍梨(だいあじゃり)となりました。1990年に比叡山を下山した後は、中国の五台山やエジプトのシナイ山などを訪れています。1995年には、バチカンにてローマ法王のヨハネ・パウロ2世と謁見。晩年は、比叡山麓の飯室谷不動堂で活動されていました。

 

酒井雄哉の主な略歴

1965年 出家
1973年 千日回峰行を開始
1980年 千日回峰行を達成
1981年 2回目の千日回峰行を開始
1987年 2回目の千日回峰行を達成
1995年 ローマ法王ヨハネ・パウロ2世に謁見
1995年 仏教伝道文化賞を受賞
2008年 エジプト訪問

 

酒井雄哉の代表的な作品

酒井雄哉の代表的な作品は、「そのままの自分を出せばいい」「この世に命を授かりもうして」などです。千日回峰行の一部が撮影されたNHKのドキュメンタリー「行〜比叡山 千日回峰〜」も有名です。千日回峰行の厳しい修行の様子が半年に渡ってカメラで撮影されています。

酒井雄哉の掛け軸

 

酒井雄哉の買取相場

酒井雄哉の軸装された掛軸で状態の良い書であれば高価買取が期待できるでしょう。書いてある内容などで変わりますが数千円~1万円以上の買取りが付くでしょう。付加価値のついている作品であればさらに高額査定も期待できるかもしれません。色紙や扁額に書かれた書については需要の観点から査定が低くなってしまいます。

 

酒井雄哉の買取は骨董品買取専門店の永寿堂へ

酒井雄哉の買取りは永寿堂へ

酒井雄哉の作品を売りたいとお考えであれば、ぜひとも「骨董品買取専門店 永寿堂」におまかせ下さい。天台宗の僧侶で仏教伝道文化賞を受賞するなど仏教の普及に努め、晩年は比叡山麓の飯室谷不動堂長寿院住職を務めた酒井雄哉の掛け軸や書を高価買取させて頂きます。
当社は幅広いジャンルを取り扱っており、酒井雄哉の作品の他にも陶芸品や骨董品や絵画や掛け軸や茶道具や美術品やアンティーク品などその他ジャンルを問わず、さまざまな品をコレクションしていた方の品を買取りさせて頂きますので電話またはメールでお問い合わせください。

永寿堂へのお問い合わせ先

・TEL:0120-060-510
・メール:info@eijyudou.com
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