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【山崎弁栄買取】山崎弁栄の書や仏画の掛軸買取は永寿堂へ

山崎弁栄の掛け軸を買取りしております。売却をお考えの山崎弁栄の書や仏画の掛け軸買取りは永寿堂におまかせ下さい。光明主義を唱えた浄土宗の僧侶で弁栄上人や弁栄聖者とも呼ばれる宗教思想家である山崎弁栄についての略歴や買取についてなども掲載しておりますので購入や売却の際のご参考にして下さい。

【目次】
山崎弁栄(やまざき べんねい)について
 山崎弁栄の主な略歴
 山崎弁栄の買取相場
山崎弁栄の高価買取は永寿堂におまかせ下さい!
 永寿堂へのお問い合わせ先

 

山崎弁栄の書や掛け軸を高価買取りします

山崎弁栄(やまざき べんねい)について

山崎弁栄(やまざきべんねい)は、1859年(安政6年)2月20日、現在の千葉県柏市で浄土門徒の農家に生まれた浄土宗の僧侶です。
山崎弁栄は各地で厳しい修行を積んだ後、伝道活動に邁進しました。山崎弁栄はお釈迦様への強い畏敬の念を抱いていましたが、自身と異なる宗教や考え方を拒絶する人ではありませんでした。西洋の価値観や哲学、西洋医学、キリスト教などが日本に流入し社会が大きく変わっていった明治~大正時代に、そうした新しい西洋の文化や思想、宗教に対しても耳を傾け、どの考え方にも真理があるという受容の見解を示しました。このような大変容の時代に、国や宗教の違いから争うのではなく、親和を目指すことこそが大切であると説き、多くの人々を混迷や不安から救い、活躍しました。1887年(明治27年)にはインドに渡り聖地を巡礼していますが、当時の日本人僧侶がインドの仏跡を巡拝するのは非常に珍しいことでした。

山崎弁栄は最高の宗教思想家であると言われる一方で、芸術的な才能にも恵まれていました。山崎弁栄の生家は信仰深い家庭であったため自然と宗教書に親しむようになり、仏画等を描くようになったと言われています。山崎弁栄は多くの仏画を残しましたが、いずれも各種の賞や名声のために描かれたものでなく、仏様や観音様への純粋な尊崇の念から描かれています。そのため芸術的な技能を誇示するような派手さはありません。山崎弁栄の仏画を見、南無阿弥陀仏とお念仏する際に、智慧の矢(光明)が心に降り注いで信仰する心を育み、仏堂へと導く手立てとなるよう意図して仏画を描いたと言われています。
晩年は腎臓の病気を患っていましたが、生涯を終えるまで休むことなく熱心な伝道活動を続けました。1920年(大正9年)12月4日、伝道の途上、極楽寺にて逝去しました。

山崎弁栄の掛け軸イメージ

 

山崎弁栄の主な略歴
1879年(明治12年) 東漸寺に出家。大谷大康を師事する
1881年(明治14年) 増上寺や駒込吉祥寺学林(現在の駒澤大学)にて学び精励する
1882年(明治15年) 筑波山山中にて修行を行う
1887年(明治20年) 善光寺建立・浄土宗本校(現在の大正大学)設立を推し進める
1914年(大正3年) 如来光明会(現在の光明修養会)を設立
1918年(大正7年) 光明学園を創設

 

山崎弁栄の買取相場

山崎弁栄の掛軸や仏画は市場に出回ることが少ないため、具体的に「いくらで買取ってもらった」などという実績に基づく相場価格はほとんど明らかになっていません。しかしながら、見る人の心に訴えかける美しい作品が多い山崎弁栄の作品をぜひ買い取りたいという収集家も多いです。特に作品の状態が良いものや、図録などに掲載された作品である場合、査定額が高くなることが期待できます。

 

山崎弁栄の高価買取は永寿堂におまかせ下さい!

山崎弁栄の買取りは永寿堂へ

山崎弁栄の作品を売りたいとお考えであれば、ぜひとも「永寿堂」におまかせ下さい。光明主義を唱えた浄土宗の僧侶で弁栄上人や弁栄聖者とも呼ばれる宗教思想家である山崎弁栄の書や仏画の掛け軸を高価買取させて頂きます。
当社は幅広いジャンルを取り扱っており、山崎弁栄の作品の他にも陶芸品や骨董品や絵画や掛け軸や茶道具や美術品やアンティーク品などその他ジャンルを問わず、さまざまな品をコレクションしていた方の品を買取りさせて頂きますので電話またはメールでお問い合わせください。

永寿堂へのお問い合わせ先

・TEL:0120-060-510
・メール:info@eijyudou.com

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