骨董品買取りの永寿堂「【沢庵宗彭買取】沢庵宗彭作品の買取は永寿堂へ」|愛知・名古屋を中心に全国へ骨董品を出張買取します

骨董品買取店 永寿堂への電話アイコン 骨董品買取店 永寿堂への電話

お知らせ・コラム
NEWS

【沢庵宗彭買取】沢庵宗彭作品の買取は永寿堂へ
沢庵宗彭のタイトル

沢庵宗彭(澤庵宗彭)の作品を買取りしております。売却をお考えの沢庵宗彭の書や掛け軸などの買取りは永寿堂におまかせ下さい。電話やメールにてお気軽にお問い合わせ下さい。こちらでは沢庵宗彭についてや略歴や買取相場なども掲載しておりますので購入や売却の際のご参考にして下さい。

1.沢庵宗彭(澤庵宗彭)について
2.沢庵宗彭の主な略歴
  沢庵宗彭が誕生させた沢庵漬け
3.沢庵宗彭の買取相場
  沢庵宗彭の作品買取で当社が選ばれる理由
4.沢庵宗彭の買取でよくある質問
5.沢庵宗彭の売却であれば買取専門店である永寿堂へ!
  永寿堂へのお問い合わせ先

 

沢庵宗彭(澤庵宗彭)について

沢庵宗彭(たくあんそうほう)は、天正元年但馬国出石で誕生しました。但馬国主である山名祐豊の重臣であった秋庭綱典を父に持っていましたが、沢庵宗彭が8歳の時に但馬山名家は羽柴秀吉に侵攻され滅亡。父・綱典は浪人することとなります。沢庵宗彭は10歳の時に出石の唱念寺へ出家し、その後は出石の宗鏡寺や京都の大徳寺などで住職を務めました。

石田三成とも親交があったため、三成の居城である佐和山城を拠点としていたこともありましたが、関ケ原の戦いにより佐和山城は陥落。再び大徳寺の春屋宗園のもとに沢庵宗彭は身を寄せ、処刑された石田三成の遺体を引き取り手厚く弔っています。慶長6年には文西洞仁の門下に入りましたが、慶長8年に文西が亡くなったことにより沢庵宗彭は南宗寺の一凍紹滴に師事し、慶長9年に沢庵の法号を得ています。慶長12年に大徳寺首座となり、慶長14年には大徳寺の第154世住持に任命されるも沢庵宗彭は拒否。元和6年に郷里である出石に戻り、隠遁生活を過ごしました。その後江戸幕府の方針に反対の意を呈し(紫衣事件)、寛永六年には出羽国へ流されることとなります。

しかし寛永9年に徳川秀忠が亡くなったことを受け大赦を命ずる勅令が出されました。沢庵宗彭はしばらくの間江戸に出て神田広徳寺に入門。寛永11年には大徳寺に戻るのですが、その際に第3代将軍である家光に拝謁します。家光はその後深く沢庵宗彭に帰依するようになり、寛永13年には家光の近侍となりました。江戸に上京後は家光に重用され、度々登城して禅を説きます。

そして正保2年、74歳で沢庵宗彭は人生の幕を閉じました。弟子に懇願され書いた辞世の偈は「夢」の一文字。その文字は石田三成や徳川家光などの偉大なる人物に愛されてきた沢庵宗彭の人生そのものであると言えるでしょう。また、遺誡として「自分の墓を建ててはならぬ」とも伝えていました。しかし、遺誡は叶わず、現在も円覚山宗鏡寺と萬松山東海寺に沢庵宗彭の墓碑が残されています。

 

沢庵宗彭の主な略歴

天正10年(1582年) 出石の唱念寺へと出家する
天正19年 (1586年) 宗鏡寺へ入る
文禄3年 (1594年) 大徳寺に入る
慶長4年(1599年) 佐和山城で1年間過ごす
慶長5年 (1600年) 佐和山城が陥落し、大徳寺へ落ち延びる
慶長6年 (1601年) 文西洞仁の門下に入る
慶長8年 (1603年) 南宗寺の一凍紹滴に師事
慶長9年 (1604年) 沢庵の法号を得る
慶長12年(1607年) 大徳寺首座となる
元和6年 (1620年) 出石に戻り隠遁生活を送る
寛永6年 (1629年) 出羽国へ流される
寛永9年 (1632年) 大赦にて免除される
寛永11年 (1634年) 大徳寺に帰還
寛永13年 (1636年) 将軍家光の近侍となる
正保2年 (1646年) 74歳で没する

 

沢庵宗彭が誕生させた沢庵漬け

現代でも食卓に上がる沢庵漬けは、沢庵宗彭が考えたと言われています。その由来となった逸話とは、徳川3代将軍家光が沢庵宗彭に、「何か美味しい食べ物はないか」と相談したことがきっかけです。当時将軍は何を食べてもおいしいと感じることが無く、密かな悩みでもありました。

そこで沢庵宗彭は自分の寺で美味しい食べ物を食べさせることを約束します。しかし一言、「食事の席では私が主人ですから、いかに将軍であっても食事中に席を立つことはおやめください」と付け加えました。将軍はいかにおいしい食べ物が出てくるのであろうと期待して寺へ向かうのですが、食事は一向に出てきませんでした。

待てど暮らせど食事が出てこないため、さすがに堪忍袋の緒が切れそうになった将軍でしたが、沢庵宗彭との約束があったため席を立つわけにはいきません。もう一日が終わろうとするその時にようやく出された食事が大根の漬物とご飯でした。そしてその味は沢庵宗彭が言っていた通りに非常に美味でした。つまり沢庵宗彭は、美味しいものが食べたければ空腹にすれば良いということを将軍に伝えたかったのです。

他にも、沢庵を漬けるときに使う重石が沢庵宗彭の墓石に似ているということから沢庵漬けの名が付けられたという説もあります。

 

沢庵宗彭の買取相場

沢庵宗彭作品の買取相場は、作品の種類によって大幅に異なります。~20万円まで辺りの査定額が付くでしょう。また30万円の査定額となることもございます。付加価値などついている作品など場合によっては、50万円を超える可能性もあります。沢庵宗彭作品は書の掛け軸が多いですが、書の他にも茶杓などもあります。

沢庵宗彭の書

 

沢庵宗彭の作品買取で当社が選ばれる理由

1.高価買取 当社は人件費や運営コストをかけていない分だけ高価買取させていただいております。
2.秘密厳守にて買取させていただいております。
3.京都や東京などにもルートがあり専門知識とデータにて適正価格にて買取させていただきます。
4.都合があえば即日でも出張買取に伺わせていただきます。
5.出張費用無料にて店主自らが査定に伺わせていただきます。

 

沢庵宗彭の買取でよくある質問

Q.偽物か本物か分かりませんが査定買取りして頂けますか?
A.真贋が分からない品でも査定させて頂きます、当店が真贋を見分け買取りさせて頂きます。

Q.1点でも出張買取りして頂けますか?
A.1点のみとの事でしたら画像を送って頂くか詳しいお話をお聞かせ下さい、品物によっては1点でも出張買取り致します。

Q.沢庵宗彭の作品以外にも絵画や掛け軸など骨董品があり運べません出張買取りして頂けますか?
A.喜んで出張買取にお伺い致します。

Q.作品が色ヤケやシミなどで状態が悪いのですが売却できるのでしょうか?
A.作品の状態が悪くても買取りはできますが高価買取は難しいかもしれません。

Q.遠方ですが出張買取りして頂けますか?
A.ご内容次第で遠方でも出張買取りできますのでご相談下さい。

Q.直筆でなく複製ですが買取り可能ですか?
A.複製でも買取りは可能ですが単品での買取りは対応は難しい場合がございます。

 

沢庵宗彭の売却であれば買取専門店である永寿堂へ!

沢庵宗彭の買取りは永寿堂へ

沢庵宗彭の作品を売りたいとお考えであれば、ぜひとも「掛け軸買取店の永寿堂」におまかせ下さい。沢庵宗彭の作品で書や掛け軸や茶杓など様々な作品を買取りさせて頂きます。

当社は幅広いジャンルを取り扱っており、沢庵宗彭の作品の他にも陶芸品や骨董品や絵画や掛け軸や茶道具や美術品などその他ジャンルを問わず、さまざまな品をコレクションしていた方の品を買取りさせて頂きますので電話またはメールでお問い合わせください。

永寿堂へのお問い合わせ先

・TEL:0120-060-510
・メール:info@eijyudou.com

関連記事