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【海老原喜之助買取】海老原喜之助の絵画買取は永寿堂へ

海老原喜之助の絵画を買取りしております。売却をお考えの海老原喜之助の絵画買取りは永寿堂におまかせ下さい。鹿児島出身の画家でフランスや日本で活躍した海老原喜之助についての略歴や買取相場なども掲載しておりますので購入や売却の際のご参考にして下さい。

【目次】
海老原喜之助(えびはら きのすけ)について
 海老原喜之助の主な略歴年表
 海老原喜之助の買取相場
海老原喜之助の売却であれば買取専門店である永寿堂へ!
 骨董品買取専門店 永寿堂へのお問い合わせ先

 

海老原喜之助(えびはら きのすけ)について

海老原喜之助は、フランスと日本を舞台に活躍した洋画家です。日本洋画壇の鬼才と称された人物で、独自の詩情的な作風と深く鮮やかな「エビハラ・ブルー」で一躍世界に名を馳せました。

海老原喜之助は、1904年に鹿児島県鹿児島市で誕生します。鹿児島県立志布志中学校を卒業した後、東京の川端画学校で絵画を学びました。18歳のときに制作した「自画像」は、詩人の村山槐多の影響を受けた初期の代表作品です。同時期には、千代田区にある学校法人アテネ・フランセでフランス語を学んでいます。

1923年には単身でフランスに渡り、パリで活躍していた画家・藤田嗣治の元で制作活動をスタートしました。同年には、フランスから出品した作品が二科展で入選し、翌年1924年にはフランスのサロン・ドートンヌで入選を果たしています。

1927年のときに、フランスの画商・美術品収集家のアンリ・ピエール・ロシェと契約を締結。以降、代表作「窓(カンヌ)」「サーカス」「姉妹ねむる」を制作し、翌年1928年にはニューヨークで自身初となる個展を開催しました。同時期には、フランドル美術の影響を受け、海老原喜之助独自の青をベースとした作品を制作するようになりました。

1934年にはフランスから帰国し、日本で初となる個展を開きます。1935年には独立美術協会の会員となり、同協会主催の独立展に数多くの作品を出品するようになりました。1940年には、日本大学専門部芸術科美術科(現:日本大学藝術学部)の講師に就任しましたが、戦争の影響を受け1945年には家族と共に熊本県に疎開。その後しばらくの間作品制作を中断しています。

1951年には海老原美術研究所を創立して、同年には作品制作を再開しました。同時期には代表作「殉教者」「スタート」を手掛けています。その後は九州で創作活動を行っていましたが、1966年頃から再びフランスを拠点にして作品制作するようになりました。1968年には代表作「水より上る」を発表したものの、1970年には癌のためパリで亡くなっています。享年66歳でした。

海老原喜之助の絵画イメージ

 

海老原喜之助の主な略歴年表

1904年 鹿児島県鹿児島市で誕生
1923年 単身渡仏、同年第10回二科展入選
1924年 サロン・ドートンヌ入選
1927年 フランスのアンリ・ピエール・ロシェと契約を締結
1928年 ニューヨークで個展を開催
1934年 フランスから帰国
1940年 日本大学専門部芸術科美術科の講師に就任
1951年 海老原美術研究所を創立
1950年 南日本文化賞受賞
1955年 日本国際美術展で佳作受賞
1959年 第5回日本国際美術展で最優秀賞受賞
1970年 パリで逝去

 

海老原喜之助の買取相場

海老原喜之助の買取り相場は油絵か鉛筆画か版画かにより買取り相場は大きく変わり、書き込みや書いてある内容や状態や時代などにより査定しますので一概には言えませんが、1万円~10万円程度の査定となる事が多いでしょう。油彩の作品で鑑定書などが付属しており真筆が保証されているような油彩画作品は50万円前後で取引されております。

 

海老原喜之助の売却であれば買取専門店である永寿堂へ!

海老原喜之助の買取りは永寿堂へ

海老原喜之助の作品を売りたいとお考えであれば、ぜひとも「骨董品買取専門店 永寿堂」におまかせ下さい。鹿児島出身の画家でフランスや日本で活躍した海老原喜之助の絵画を高価買取させて頂きます。
当社は幅広いジャンルを取り扱っており、海老原喜之助の作品の他にも陶芸品や骨董品や絵画や掛け軸や茶道具や美術品やアンティーク品などその他ジャンルを問わず、さまざまな品をコレクションしていた方の品を買取りさせて頂きますので電話またはメールでお問い合わせください。

骨董品買取専門店 永寿堂へのお問い合わせ先

・TEL:0120-060-510
・メール:info@eijyudou.com

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