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【川合玉堂買取】川合玉堂の日本画買取は永寿堂へ

川合玉堂の掛け軸を買取りしております。売却をお考えの川合玉堂の掛け軸や日本画の買取りは永寿堂におまかせ下さい。日本画壇の中心的存在の一人であり文化勲章を授与された日本画家である川合玉堂についての略歴や買取相場なども掲載しておりますので購入や売却の際のご参考にして下さい。

【目次】
川合玉堂(かわいぎょくどう)について
 川合玉堂の主な略歴
 川合玉堂の作風
 川合玉堂の代表作
川合玉堂作品の買取相場
川合玉堂作品を高く売るためのポイント
川合玉堂の高価買取は永寿堂におまかせ下さい!
 永寿堂へのお問い合わせ先

 

川合玉堂(かわいぎょくどう)について

川合玉堂(かわいぎょくどう)は、自然や風物を叙情豊かに描いた日本画の巨匠です。日本の山河をこよなく愛し、数多くの風景画を残した人物として知られています。
1887年(明治20年)に愛知県で生まれた玉堂は、その後岐阜県で育ちます。14歳になると青木泉橋の紹介状を手に京都の望月玉泉の門に入り「玉舟」の号を与えられました。
1890年(明治23年)には幸野楳嶺に師事し、四条派を学びます。第3回内国勧業博覧会では褒状を受けたほか、日本美術協会などでも名誉ある賞を受賞しました。
後に、玉堂は上京して橋本雅邦の門に入ります。そのきっかけとなったのが、第4回内国勧業博覧会における、雅邦作の「龍虎の図」や「十六羅漢」との出会いです。京都で学んだ四条派と、雅邦の狩野派的な様式を融合させた玉堂の作品は、さらなる飛躍を遂げていきました。
1907年(明治40)の東京勧業博覧会に出品された「二日月」は高い注目を集めたほか、1916年(大正5年)に第10回文展に出品した「行く春」では、その地位を不動のものにします。
昭和に入るとフランスやイタリア、ドイツなどからも数々の賞が贈られ、1940年(昭和15年)には日本の勲章のひとつ、文化勲章を受章しました。
歌を愛した玉堂は、晩年には歌集も刊行しています。多くの功績を残した玉堂の告別式は東京築地本願寺で行われ、政府からは正3位勲1等旭日大綬章が贈られました。
川合玉堂の門下には、長野草風、山内多門、池田輝方、池田蕉園、松本姿水、今中素友など多くの門人がおり日本画壇に多くの影響と多大なる貢献をしました。

川合玉堂の作品イメージ

 

川合玉堂の主な略歴

1873年

本名は芳三郎。愛知県葉栗郡外割田村に川合家の長男として生まれる。

1887年

岐阜尋常高等小学校を卒業後、京都望月玉泉の門に入る。「玉舟」の号を与えられる。

1890年

名を「玉堂」と改める。

1896年

前年に第4回内国勧業博覧会にて、橋本雅邦作「龍虎の図」と「十六羅漢」に深く感動。この年に上京し、橋本雅邦の門に入る。

1916年

第10回文展に「行く春」を出品

1918年

東京美術学校日本画科主任に任命される。

1922年

第1回朝鮮美術展覧会の審査員に任命される。審査員として京城に赴き、朝鮮各地を巡遊

1931年

イタリア皇帝よりグランオフイシェー・クーロンヌ勲章を拝受

1635年

帝国美術院会員に任命される。

1940年

文化勲章を受章

1947年

歌集「多摩の草屋」刊行

1957年

6月30日没、享年84歳

 

川合玉堂の作風

川合玉堂の作風は、四条派と狩野派を融合させた情趣豊かな表現が特徴です。多くの作品には、日本の四季が織りなす美しい自然の姿が描かれています。また、自身のスタイルを確立する以前は、墨の濃淡が美しい山水画も手がけていました。
そのなかのひとつ「渓山秋趣」は、師である雅邦の影響が色濃く表れている作品です。中国の風景を題材にする山水画をベースに、細部のモチーフが日本的なものに置き換えられています。この頃から玉堂は、日本の山水画という新たなジャンルを模索していたといえるでしょう。
晩年に入ると、玉堂は独自の境地を確立していきます。大正時代に描かれた作品は、色彩と線描との調和が見事なものばかりです。なかには、一見狩野派風でありながら、見る者に風景画の印象を与える作品も見受けられます。
玉堂芸術の真骨頂ともいえる代表作は、自然とともに生きる人々の姿が穏やかに描き出されているのが特徴です。玉堂亡き後、日本画家の鏑木清方は「日本の自然が、日本の山河がなくなってしまったように思う」と嘆いたといいます。
自然に対する真摯なまなざしから生まれる玉堂の作品は、日本的な題材を日本的な手法で表現したからこそ、国内外で広く愛されたといえるでしょう。

参照:玉堂美術館「川合玉堂 年譜

 

川合玉堂の代表作

川合玉堂代表作には、以下のような自然美豊かな作品が挙げられます。

  • 二日月
  • 行く春
  • 暮るる山家
  • 雨後
  • 峰の夕
  • 彩雨
  • 夕月夜
  • 吹雪
  • 暮雪
  • 月天心

「二日月」は、1907年(明治40)の東京勧業博覧会に出品された作品です。この頃から、四条派と狩野派を見事に融合させた作風が注目を集めていきます。
大正時代に入ると「暮るる山家」や「雨後」、「峰の夕」、「彩雨」などの代表作が続々と誕生します。漁夫と子どもを淡い月の光が照らす「夕月夜」は、第7回文展に出品されて好評を博しました。
また、晩年に生み出された「月天心」などは、玉堂の代表作のなかでも特に優れた作品といわれています。

参考:東京文化財研究所「川合玉堂

 

川合玉堂作品の買取相場

美術展などで展示されることもある川合玉堂の作品は、高価買取が期待できます。なかでも評価が高いのは、色鮮やかに描かれた日本の風景画です。状態の良いものであれば100万〜200万円の買取額が見込まれます。
一方で、サイズが小さく色合いが単調な作品の買取額は数万円〜20万円前後です。買取時には玉堂の真作であることはもちろん、作品の内容が重視されるといえます。
ただし、過去に高い評価を得ている作品は小さなサイズでも高価買取が見込まれるため、手元に玉堂の作品がある場合は、玉堂に詳しい専門業者への買取を依頼してみてください。

 

川合玉堂作品を高く売るためのポイント

川合玉堂作品を高く売るためのポイントは、以下の3つです。

  • 保存状態を良好に保つ
  • 鑑定書や保証書、付属品を添える
  • 玉堂を知る専門業者に依頼する

1つめの保存状態は、古美術品や骨董品を買取に出す際の大切なポイントです。破れや破損、シミなどがない作品のほうが高値で取引されます。
玉堂の作品のように紙に描かれているものは、カビや日焼けにも注意が必要です。特に、掛け軸に仕立てられている場合は、定期的に箱から出してメンテナンスしてください。箱に入れたままにしておくと、作品が劣化するリスクが高まります。

2つめのポイントは、鑑定書や保証書、付属品を添えることです。鑑定書や保証書は、作品が玉堂の真作である証明になります。
付属品とは、作品が入っている箱や作家本人の書物などのことです。箱によっては玉堂のサインや印が記されているため、こちらも添えて買取に出してください。

ポイントの3つめに挙げた専門業者であれば、これらの情報をもとに作品の確かな価値を見極められます。また、査定見積りは複数の業者に依頼するのがおすすめです。出張買取や宅配買取など、買取方法や査定額などの条件をふまえたうえで、納得いく業者に買取を依頼できます。

 

川合玉堂の高価買取は永寿堂におまかせ下さい!

川合玉堂の買取りは永寿堂へ

川合玉堂の作品を売りたいとお考えであれば、ぜひとも「永寿堂」におまかせ下さい。日本画壇の中心的存在の一人であり文化勲章を授与された日本画家である川合玉堂の掛け軸や日本画を高価買取させて頂きます。

当社は幅広いジャンルを取り扱っており、川合玉堂の作品の他にも陶芸品や骨董品や絵画や掛け軸や茶道具や美術品やアンティーク品などその他ジャンルを問わず、さまざまな品をコレクションしていた方の品を買取りさせて頂きますので電話またはメールでお問い合わせください。

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・TEL:0120-060-510
・メール:info@eijyudou.com

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